悪意 

 東野圭吾作の、加賀恭一郎シリーズです。
刊行は1996年。
かなりの意欲作です。
なので、ネタバレ改行。




















 まずはあらすじから。

有名小説家の日高邦彦が自宅で他殺体となって発見された。刑事の加賀恭一郎は、日高の親友である児童小説家の野々口修が書いた「事件に関する手記」に興味を持つ。加賀は聞き込みや推理を通して、野々口の手記に疑問を抱くようになる。やがて犯人が明らかになるが、犯人は犯行の動機を決して語ろうとはしないのだった・・・。(Wikipedia


 ノックスの十戒だとか、ヴァン・ダインの二十則といった、ミステリで掟破りとされる書き方を戒めるローカルルールがあります。
別に守らなくてもいいですが、下手に使うと読者を白けさせるよ、というものです。
それらの中で、地の文で嘘をつく(記録者が事実を捻じ曲げて書く)「叙述トリック」も触れられています。
記録者が犯人か共犯者だと、内容を追っているだけでは犯人に到達できない仕組みになっているのが、フェアではないということなのでしょう。
自分の場合、読みながら推理するわけではないので、読み物として面白く、どんでん返しが楽しめればそれでいいような気もしますが。
だからこそ、「どちらかが彼女を殺した」や「私が彼を殺した」とかには困惑するのですがね。

 前置きが長くなりました。
できれば使うのを避けた方が良い叙述トリックが使われているのを大前提として、読者に謎を提示したのが「悪意」です。
有名小説家殺害の容疑者に児童小説家が挙げられ、序盤で逮捕されます。
物語は彼の手記で始まるのがミソです。
もっともらしい記述の中に、様々な嘘が散りばめられています。
本作が解き明かしているのは、トリックではなく、本人が黙秘している動機です。
野々口が渋々明かしていく「真相のようなもの」を、加賀刑事が次々と覆していきます。
そして最後に残ったのは、野々口の救いようの無さだけでした。

 魂は細部に宿ると言います。
物語の骨格はもちろん重要ですが、それぞれのキャラクターの個性を現すのは、本筋とは関係ないような些細なふるまい、記述だったりします。
本作の最後にして最大のどんでん返しは、その本当に些細でいて、キャラクターを規定する様な記述の嘘だったのです。
動機を明かす物語でありながら、ミステリを読む人の脳は基本的にトリックや真犯人を推測する方向に特化しがちですから、案外そんな部分が盲点になるのですね。
そこを突かれた思いでした。
でも私としてはそれ以上に、野々口の職業が児童小説家という無垢なイメージだったことが、最後まで尾を引いていたと思います。
本文での言及はありませんが、それは作者が読者に向けて仕掛けた罠だったように思えてなりません。

 この作品、「名探偵の掟」と同じ年の刊行だったそうです。
そして、名探偵の掟の方が評判がよかったとか。
気持ちはわかるけど、同情します……。
あと、ドラマでは間寛平が探偵役をやっていたとか。
むしろ野々口役がしっくりくるのですが。
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